みなとアクルスの中央を南北に縦断する貨物専用の路線「東海道線 山王信号場~名古屋港駅間(通称:名古屋港線)」が、4月1日に廃止されました。
「名古屋港線」は、名古屋駅付近の山王信号場で東海道線と分岐し、名古屋港駅までの約6.2キロを結ぶ貨物支線で、臨港線とも呼ばれていました。
最終運行の日には多くの鉄道ファンが、みなとアクルスを走る列車の姿をカメラに収めながら、別れを惜しんでいました。
「名古屋港線」の歴史は古く、1911年(明治44年)に名古屋港の船と連携した貨物輸送を目的に開業し、当時は主に木材を輸送していました。
材木と聞いてもピンとこない方が多いかも知れませんが、かつてこの地方は、岐阜県や三重県で産出された良質な木材の集散地として知られ、その起源は1610年(慶長15年)の名古屋城築城にまで遡ります。
明治になると、外国産の木材が大量に輸入されるようになり、近代的な港や駅が整備され、鉄道による貨物輸送が行われるようになったそうです。
「名古屋港線」と並行する「中川運河」も、かつては“東洋一の大運河”と呼ばれ、明治から昭和の水運物流の中心として、この地方の経済・産業の発展を支えていました。
みなとアクルスは、この地域の発展を支えた2つの物流インフラが交差する場所で、人と環境と地域のつながりを育む、新しいまちづくりを進めています。